ワイアー批判

自分の中で
芝居には映像は必要ないという結論に達した時点で
芝居の映像には興味が無くなりつつある。


プロ顔負け、プロ以上のクオリティの映像を作るのは、山ほどいる。
しかし本当に必然性のある映像を作っている劇団がどれだけあると言うのか?
映像がスゴイとかかっこいいと言われるのは当たり前。
それは20世紀の話。
出演者の名前がCGでカッコよく出るとか
別の場所の芝居が映像で流れるとか、映像と同じ動きでダンスするとか、思ってることが字幕で出るとか
それは20世紀の話。
そこから先に行かないと。
そういう意味ではこないだのドレカチの映像は完全に失敗だ。駄作だ。
そこから先の答えをはたしてワイアーで模索することができるのか?


戯曲賞とるような作家の台本には映像の入り込む余地がない。
なぜなら、作家の書く台詞と役者の行動を示すト書きだけで充分完成されているから。
でも演出家は映像は必要だと言う。
戯曲的に完成されたものを見せたくないのか?
ワイアーは演出家と作家が別人なのか?



これらをふまえた上で
次回のワイアー台詞が全くない場合に限り僕の映像があります。